鎌倉ヤマガラ日記

鳥の話はあれども野鳥観察日記ではない似て非なるもの

生命

風の中の水仙

水仙が咲いていた。 豪華絢爛と咲く花ではないし、場所は庭の片隅の日陰。 そもそも誰かが植えたのか、あるいは私が土を移動した時に土の中に隠れていて、それが芽を出して成長したのか、それはもう分からなくなっていた。 それでも去年よりも背が伸びた気が…

塩害の後の一ヶ月

2018年9月末の台風24号はきっと私の記憶に長く残ることだろう。 それが滅多に無いほどに強力な台風であることは事前に知っていた。 南側に空き地ができてしまったので、南風はもろに吹き付けると考えていた。 それなりの準備もしていたが、それ以前に…

キツネとあの鯨 Fox and the Whale by Robin Joseph

久しぶりに心を動かされるアニメーションを見た。 たかだか10数分のショートフィルムだが、映像だけでもとても素晴らしい。 波やうねる海などのリアルさはそれなりの技術があってのことだろう。 Fox And The Whale - Animated Short Film 自然(森や海)の…

シラユキゲシとピンクのカラー

ケシ科シラユキゲシ属の耐寒性多年草だが、最初は一株だけ購入して植えたものだった。 ほどなく清楚で可憐な白い花を幾つか咲かせ、やがて花期が終わった。 この時点で「これだけ可憐な花なのだから、長持ちはしないのかもしれない」と半ば悲観的になりなが…

移動する者・踊る者

鳥たちは遠く移動する、海原や大陸、高い山脈の頂きをも超えて。 小動物も移動するものの、その距離は限られているだろう。 植物たちはほとんど根付いた土地から移動することはない。 移動したければ、子孫である種子を風や鳥たちに運んでもらわなければなら…

紫陽花の葉の上で

まだ咲かぬ紫陽花の若い葉の上で小さな蝸牛が死んでいた。 生きているのかと触れようとしたとき、風が吹いて葉が揺れ、土の上に落ちた。 既に乾いていた。 束の間の緑の葉先に少しの間だけ生きた蝸牛。 なぜ死んだのかはわからない。 紫陽花が 蝸牛の骸 束の…

趣味とアイデンティティ

今までも「趣味を持っている人はイザという時に強い」という考えを何度か聞いたことがあった。 似たようなもので「信じるものが有る人は・・・」というのもある。 憂さ晴らしになったり気分転換になったりするから、それが有る人は危機に瀕しても乗り切れる…

イワタバコの季節

庭の北東側は山に接しているので、そこには崖が有る。 崖といっても草木をかき分ければ登っていける程度のものだが、その麓の一部としてけっこう大きな一枚岩があって、そこにイワタバコ(Conandron ramondioides)が群生している。 鎌倉というとイワタバコ…

蜂たちの羽音

親指の爪ほどもない黒っぽい小さな生き物は詰め草の濃い緑に隠れてすぐには見つけられないが沸き上がるような五月の風に混じって近づいてくる柔らかな低音の羽音ははっきりとそして耳をくすぐるように幾つも聞こえている蜂たちが春が育てた初夏を集めにやっ…

青く光る波 海は夜光虫でいっぱいだ

Noctiluca scintillans 2017/05/05 Kamakura Yuigahama Beach 鎌倉 由比ヶ浜海岸 こんな由比ヶ浜の海は見たことがない。 広範囲の赤潮が海を紅に染めた夜、海は夜光虫でいっぱいになっていた。 波が青く光って打ち寄せては崩れる。 波の衝撃に反応するおびた…

小さな虹と大きな木

それなり科学の世界に身をおいてきて、そしてそれはある意味でとても人工的な世界であって、というのは、科学は自然を扱うものでありながら自然から一歩引き下がって自然を客観化しようとするものだからであり、無論、自然に没入するタイプの科学者もいるけ…

蓮華草という名前

花を広げ始めたゲンゲが急速に増えていく。 本当にあっという間だな。 昨日はまだ開いていなかったのに。 蓮華草という名前が定着しているけれど、大人になって子ども心を失ったこの大人はその細かな形状をもうとっくに忘れてしまっていた。 その花言葉は「…

アカツメクサが咲いた

小さなことだけれど子どもみたいに嬉しい。 昨年秋に蒔いてシロツメクサより茎が高く伸びて葉も大きくなっていたアカツメクサも咲き出した。 本当に足の踏み場がないから写真を撮るために近づくと他の茎を倒してしまうことになる。 アカツメクサはシロツメク…

庭の片隅にいた小さきものたち

アカツメクサの大きな葉にとまっていた小さなムラサキシジミらしき蝶。 1センチ5ミリくらいしかないだろうか。 じっと動かなかった。 なぜか接近して撮影するのを遠慮した。 自転車庫の裾に咲いていたケシの仲間の鮮やかな花の色と蕾を覆う細かな毛の一本…