鎌倉ヤマガラ日記

鳥の話はあれども野鳥観察日記ではない似て非なるもの

六月の向日葵と金蓮花

家を解体して家の姿がなくなると、そこには「跡地」という名の空白が現れる。 跡地といえば、何かの跡なのであって、それが古寺などであれば礎石や何かしらの遺構が残り、そのかっての姿を想起させるのだが、小さな木造の家は何も残さなかった。 それを予想…

シラユキゲシとピンクのカラー

ケシ科シラユキゲシ属の耐寒性多年草だが、最初は一株だけ購入して植えたものだった。 ほどなく清楚で可憐な白い花を幾つか咲かせ、やがて花期が終わった。 この時点で「これだけ可憐な花なのだから、長持ちはしないのかもしれない」と半ば悲観的になりなが…

ガクアジサイの学

ふとした思い違い、思い込みで記憶に残ってしまった誤った知識というものはなかなか自分では気づくことができない、気づく機会が少ないものだと今更ながらに思う。 写真は家の紫陽花の幾つかで、その中には日本古来のガクアジサイは含まれていない。 どちら…

移動する者・踊る者

鳥たちは遠く移動する、海原や大陸、高い山脈の頂きをも超えて。 小動物も移動するものの、その距離は限られているだろう。 植物たちはほとんど根付いた土地から移動することはない。 移動したければ、子孫である種子を風や鳥たちに運んでもらわなければなら…

スイカズラ

庭の南西側の一画にスイカズラが繁茂している。 もともとはツツジが生け垣のようにして植えられていたのだが、一時バラのアーケードにしていたのが途絶え、そこに今度はスイカズラが根を下ろし、やがて繁茂した。 ツツジも生きて花をつけるが、私はツツジが…

マルバウツギ

この写真もだいぶ時間がずれてしまっている。 そうだ、この数カ月に起こったことを時間軸に沿って語ることはできないと諦めた。 話が行きつ戻りつする中で自ずと何かが見えてくれば、私なりに目的を果たせる気がする。 味気のない金属フェンスが嫌だったので…

紫陽花の葉の上で

まだ咲かぬ紫陽花の若い葉の上で小さな蝸牛が死んでいた。 生きているのかと触れようとしたとき、風が吹いて葉が揺れ、土の上に落ちた。 既に乾いていた。 束の間の緑の葉先に少しの間だけ生きた蝸牛。 なぜ死んだのかはわからない。 紫陽花が 蝸牛の骸 束の…

トトロの耳

これは完全に時間がずれている。 これを書いているのは6月半ばなのだが、写真は5月上旬だったろうか。 久しぶりに庭から山を見上げて若い緑の葉叢を見て、「育ったものだな」と思う。 この、私が「トトロの耳」と呼んでいる二本の木は、私が幼かった頃には…

いつの間にか咲いていた

人生に一度か二度しかないだろう重大で深刻な変化が起きたことをブログにうまく綴れる人はいるだろうか? 日々の記録、そういった性質のブログであるなら、人生の大事をその日常的な「日々」のページの中の一枚に埋め込んで語れるとは思えない。 実際にそう…

時を渡る舟・皆既月食20180131

月食に限ったことではない。 流れる叢雲の中に光る月を見ていると月が空を航海していくような気がする。 そして、当然なことだが、この満ち欠けし時には翳って消える月は、時をも渡る舟なのだ。 そのことを、広大な宇宙の中の地球と月と太陽の配置が強く印象…

趣味とアイデンティティ

今までも「趣味を持っている人はイザという時に強い」という考えを何度か聞いたことがあった。 似たようなもので「信じるものが有る人は・・・」というのもある。 憂さ晴らしになったり気分転換になったりするから、それが有る人は危機に瀕しても乗り切れる…

寒波

数十年ぶりの寒波と言う。 東京や横浜で雪が降っても鎌倉は微かにちらつく程度であることが多いのだが、今回はあっという間に積もった。 記憶に残る鎌倉の大雪は二十年も以前のことか。 水気の多い重たい雪で気温が低かったためか竹もあっという間に雪の重み…

兆し

さほど慶賀すべきとも感じていない新年ももう一月半ばを過ぎた。 そういう心持ちでいても自然が送ってくれる小さなメッセージに心和む。 教えてくれた絵描きの卵にも感謝したいと思った。 教えられなければ、気づかずに過ぎてしまった「ただ一輪」の時間。 …

来るのに

来るのに 去ぬ 洒落にもならぬ掛詞、龍樹の「行く者は行かず」に思いを馳せつつ2018年戌年 (2018/01/01)

2017年8月北海道旅行から

8/9 白樺が笑った 夜の露天風呂の暗がりの向こう 昼間半袖では寒いほどだった空気が 裸なのに今は爽快だ 白樺の向こうに谷間の流れを見て 立ちつくす 忘れがたきその時のこと この柔らかな硫黄の匂いの なめらかにきらめく湯のなかの今を 私はいつまで覚…

最初の実りの日々

幾つかのタイプの風車作りや翻訳などで忙しかったのに加えて、しばらく北海道旅行に行っていたのでブログがお留守になってしまっていた。 「継続は力なり」というのはこうした営みでも当てはまると思うのだが、なかなか日を開けずに継続することは難しいもの…

夜を歩く

学生の頃にフランス文学で、『夜歩く』だったか、そのような名前の本を読んだことがあった。 細かい中身はもう覚えていないが、夜中に街を歩きまわる面白さを教えられたような記憶がある。 いや、建物の中だって夜は何かが趣きを変えるものだ。 夜の家々、夜…

梅雨空の下の花たち

この数年、その中でも特にここ一、二年、天候の定まらなさというか今までとは質の異なった易変性を感じる。 梅雨は梅雨らしからず、晴れの日も多く、降るときは降るときで梅雨前線の雨というより突発的な大雨が降る。 冬が春に、春が夏になっていく過程でも…

野をアレンジする、あるいは、野を生ける

生花をflower arrangementと言うのであれば、私がやってみたいと感じているのは「野を生ける」こと、野のアレンジメントなのだろうかと思っている。 高校生の頃、奈良の親戚の家に泊めてもらって奈良巡りをしたとき、その家の老婦人が私が帰ると必ずお茶を、…

梅の実と麦の穂

毎年、6月の初めから前半に梅の実を採ることになっている。 今年は見た目、実の大きくなり方が遅く、小さな実が鈴なりになっているような印象だったので収穫を躊躇っていたのだが、風の強い日が続くせいか実がポタリポタリと音を立てて落ちてくる。 落ちて…

イワタバコの季節

庭の北東側は山に接しているので、そこには崖が有る。 崖といっても草木をかき分ければ登っていける程度のものだが、その麓の一部としてけっこう大きな一枚岩があって、そこにイワタバコ(Conandron ramondioides)が群生している。 鎌倉というとイワタバコ…

みなとみらいで見た花火

みなとみらいの横浜美術館に行った後でパンケーキとアイスコーヒーを夕涼みがてらテラスで楽しんでいたら、花火が始まった。 横浜開港祭だとは知らずにいたので、花火は一種の幸運だった。 引退した日本丸の帆柱の美しさを見ながら花火を見た。 なんだかとて…

「区切る」ことから考えた「もの」と「こと」

柔軟なカテゴリー カテゴリーの記事一覧 - 鎌倉ヤマガラ日記の幾つかの記事(特に、カテゴリーとキーワード - 鎌倉ヤマガラ日記)でも(また恐らくはかなり多くの記事の中でほんの少しずつ)私が触れていることどもに関連しているのは、delimitないしはdelimi…

蜂たちの羽音

親指の爪ほどもない黒っぽい小さな生き物は詰め草の濃い緑に隠れてすぐには見つけられないが沸き上がるような五月の風に混じって近づいてくる柔らかな低音の羽音ははっきりとそして耳をくすぐるように幾つも聞こえている蜂たちが春が育てた初夏を集めにやっ…

忘れられていたもの

「これは復讐かもしれない」 そう思った。 数日前の、まだ薄暗い早朝のことだ。 二階から見ていて、麦と詰め草に囲まれるように見慣れぬ薄桃色の花が四、五咲いているのに気がついた。 その横には金蓮花が少しずつ葉を広げている。 あれもまた鳥の撒き餌から…

物を事にする

(以下はかなり以前に他のところで書いたものを再録(若干修正)したものである。 「ものとこと」の関係と「物と事」の関係をほぼ同一視した、というか、重ねて見た書き方になっていて、 いろいろと現在の考え方に合わない部分もあるのだが、基本的な考え方…

「もの」と「こと」を考えるために

日本語の「もの」と」「こと」の使い分けについて論じたページはネット上でもかなりに上る。綿密に多くの例を挙げながら論考されたものもあれば、手短にバッサリ決めつけた感のものまで多種多様だ。しかし、多くの論評・解説が、1)「こう考えられる、こう…

先日の雨

アカツメクサもシロツメクサもかなり咲いてきているが、全開になるのはまだ先のようだ。 詰め草の花の絨毯が映えるようになるのはいつだろう。 いや、そもそもそれほどまでに集中して咲くのだろうか。 生い茂っているので逆に花数が減るのかもしれないし、ま…

こんな時がある

誰でもこんな時がある ちょっと怒って でも真顔になりきれず 人生ってそんなものなのかもと考える でもそれは ほんのひとときだけ そう そんなものなんだよ それは きっとね (2017/05014)

窓辺の実験室5月11日 aspect report

季節が春らしくなったかと思えば、もう夏めいてきて、今日は光化学スモッグ注意報。 季節の変わり目でもあるし、今までの実験結果の一部(一側面)をまとめておく。 下の図は、2月12日から5月10日までの、総キーつつき数と赤色LED側へのキーつつき…