「これは復讐かもしれない」
そう思った。
数日前の、まだ薄暗い早朝のことだ。
二階から見ていて、麦と詰め草に囲まれるように見慣れぬ薄桃色の花が四、五咲いているのに気がついた。
その横には金蓮花が少しずつ葉を広げている。
あれもまた鳥の撒き餌から育ったものなのだろうか、そう思ってそのままにしていた。
午後遅く、二箇所ほどに移植した朝顔の双葉のその後を見に行ったついでに、その花を見た。
「ああ、これは」
思わず声に出して独り言を言ってしまうほどだった。
ヒルザキツキミソウ(昼咲月見草、Oenothera speciosa、英名Pinkladiesピンクレディ)だったのだ。
ここに戻る前、「戻ってきたらこの花が咲いていたらいいな」と思って種を蒔いた。
しかし、その後すぐには戻って来れず、芽を出したのかすら確認できなかった。
昨年、種をプランターで育ててから庭の三ヶ所に移植したが、四十センチほどにまで伸び葉を広げていたものの花には恵まれなかった。
「ここの土が合わないのかもしれない」
そう思って諦め、それ以降はこの花のことを考えずにいた。
以前住んでいた場所の農業用水池周辺の公園。
そこまで鷺などを見るために散歩に行くとき通る道の右手の土手に群生していた。
夕方近くに見たその群生の花はまるで自分で光を出しているかのように薄桃色の花が浮き上がって見えた。
十の字型の雌蕊も不思議に思ったが、遅い午後まだ日暮れてもいない時間に月を待って咲くらしいその名前も気に入っていた。
なのに、その後のあれこれですっかり忘れていた。
「あんなに好きになってくれたのに、もう忘れてしまったの?」
そう言われたような気がした。
何でも熱しやすく冷めやすい私に花の恨み事。
それでも、こうやって麦と詰め草と金蓮花の間から花を咲かせてくれたのだ。
周辺に空きのない場所ゆえ一番移植数が少ない所に植えたものが翌年に伸び上がって花を付ける。
美しく咲くことによって植えたまま忘れた者に復讐する三年目の花。
植えて忘れていた者にとっては幸せな復讐だと思う。
本来、帰化植物であり野生化しているのだから強い花のはずだと思うのだが、これまで一度も花に恵まれなかったのは、おそらくは私が時機を間違っていたからなのだろう。
そうだとしたら、すまないことをした。
時機、難しいことだと今更ながらに感じたものだ。
そう言えば、シロツメクサの花言葉にも「復讐」がある。
そのこと、思いについてはまたいつか書くこともあるだろう。
(2017/05/22)