鎌倉ヤマガラ日記

鳥の話はあれども野鳥観察日記ではない似て非なるもの

野をアレンジする、あるいは、野を生ける

生花をflower arrangementと言うのであれば、私がやってみたいと感じているのは「野を生ける」こと、野のアレンジメントなのだろうかと思っている。

高校生の頃、奈良の親戚の家に泊めてもらって奈良巡りをしたとき、その家の老婦人が私が帰ると必ずお茶を、それも小さな器に何度も注いで飲む玉露を出してくれるのが嬉しかった。

そういうとき、床の間には一輪挿しがあって、一輪の野花、あるいは、ただ一枚の葉を付けたひと振りの枝が生けてあった。

茶花の或る流派では「野にあるごとく」花を生けるのだというが、綺麗に整えられた床の間の漆塗りの台に載せられた青銅の、あるいは白磁の一輪挿しに生けられた花あるいは枝は、「野」と言うべきなのだろうか。

床の間はどうしても「野原」ではあり得なく、それを事実として見据えれば、野にあるように気取らず奢らず作りこまずに一輪だけをそこに存在させるということが極めて困難なことであることは明らかだ。

にもかかわらず、ふとそこに「野」を想起させる生け方というものはあるのだと感じた、それが最初の経験だった。

言ってみれば、野からその小さな一部を切り取ったものによって野の全体を想起させること、そのことが私の中に刻まれたのだと思う。

 

「野」は庭には収まらない。

「庭でないことが野である」あるいはまた「野でないことが庭である」とすら言えるかもしれない。

手が入っている、手が入っていない、そういう区別の仕方からすれば、野は決して庭には存在しないものなのだが、しかし、床の間に「野」を感じさせるものがあり得るのなら、庭に野を感じさせるものをアレンジすることももしかしたらできるのかもしれない。

そういう無謀な、あるいは浅はかな思いが私をいつも駆り立てる。

シロツメクサやアカツメクサを育ててみたいという考えはそんなところからだったし、詰め草以外にも、鳥が仕組んだヒマワリや麦はまるで野に生育するかのようでもあった。

かっていかにも庭園のように設えられていた空間に野を放つ。

といってもヤブカラシや恐ろしい葛が生え放題にするのではなく、どこかで「雑草」と望む植物を切り分ける手立てを講じながら、野放しを演出する。

私にはまだその微妙極まりない一線が見えてはいないのだ。

今もなお、この庭では野に混じって、幾つかの花が育っている。

例えば朝顔には手を立てず、立木の根本に朝顔の種を播き、その蔓(つる)が木を這い上るようにする。

ムクゲの傍にオクラを播いて、似たような形の、それでも随分と違う花を見比べてみる。

 

野というものはある意味、節操のないランダムな生育のように思えるのだが、自然の采配は必ずしもランダムではなく、すぐには目に見えないが方向性というかポリシーのようなものが確かに存在するのだ。

すぐには把握できない複雑なロジック。

そういう自然のロジックと私の気ままで浅はかなロジックを突き合わせ混ぜ合わせる。

これは果てしないダイス振りなのかもしれない。

 

庭は詰め草で溢れた。

私は背の低いシロツメクサをイメージしていたわけではないのだが、それでも膝を超える高さにまで伸びたアカツメクサには驚かされた。

必ずしも計画通りには事は運ばない。

しかし、だからこそ、また野を意識するのだ。

 

日差しが強まる中、もともと寒冷地のものである詰め草たちは次第に勢いを失いつつある。

市内の公園でももうシロツメクサは刈り込まれたところがある。

だから、勢いのあった5月から6月半ばの詰め草の絨毯を振り返ってみたくなった。

 

5月半ば

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本当に打ち捨てられた野のようでもある。

まだ花はそれほど多くない。

 

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                        (二階から)

 

6月初旬

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白と赤が入り交じる。

 

6月半ば 

背が伸びすぎて雨後に歩けば足はもちろんズボンの裾もびっしょり濡れるので、小径を作りたくなり、もともと微かにはできていた獣道(私がその獣なのだが)に沿って刈り込んでみた。

 

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刈りこんでみて改めて詰め草の背が随分と高いと感じる。

刈りこまれたところとそうでないところの高低差は30センチ以上はあるだろう。

地面を覆うグランドカバーとしての詰め草は地面が見えないほどに繁茂すると何故か印象が薄くなる。

そこに細い小径を作ると、詰め草は浮き上がって存在感を示すように見えた。

それは、刈りこむことで野の一部を殺したのだが、その一部を殺すことによって、他の部分の存在を強調することになるというようなことなのかもしれない。

少し不思議な感じがしたけれど、歩いていける小径ができると、奥行きが感じられて、本当に野を歩いているような小さな錯覚に陥ることができる。

それは実に他愛もない小さな幸せだった。

このままずっと遠くまで歩いていける野であったらよいのに、そんなことも感じた。

 

もう一つ、「野」に私がイメージすることがあった。

それは小さな発見がある場所だということだ。

手を入れて世話と管理が行き届いた庭には未知が乏しい。

外からそこにやってくる人には発見があるかもしれないが、そこに手を入れ管理しているものには発見は少なくなるだろう。

いつも「え、こんなところに!?」とか「こんなことになるものなのか」という驚きを感じていたいと、私は思う。

野歩きすれば、思わぬ所に小さな花が咲き、予想もしなかった高さにまで伸びた茎や幹がある。

あるいは、一度も通ったことがない道に出会うことがある。

だから、もしかしたら、私にとっての野のアレンジメントとは、そういう発見を隠した場所を作ることなのかもしれないと。

 

それでも、私にはまだわからない。

「野」とは何か、そして、どのように広がっているものなのか。

 

6月が終わろうとしている。

 

(2017/06/29) 

 

 

そして、そう書いてから気づいたことがある。

詰め草の中を通る小径は、「刈りこむことで野の一部を殺したのだが、その一部を殺すことによって、他の部分の存在を強調する」ことかもしれないと書いたのだが、そこに私はなぜか「野らしさ」を感じとった。

それはまさに野の一部に野ではないものを入れること、言わば野を殺して(あるいは、野を殺すことによって)野を生かすことだったのだと。

 

そこにこそ、「野」と「庭」の実にきわどい関係が見えているのかもしれない。

 

(2017/06/29) 

 

近松門左衛門の言ったことだと言われる「虚実皮膜」という言葉があるが、それは役を演じる芝居という芸術においては事実と虚偽の間(つまりは「事実でもなく虚偽でもない」あるいは「事実でもあり虚偽でもある」あるいはそういう同時性ではなくギリギリの境界線上である)の皮膜一枚に真実としての訴求力と虚偽としての何かが融合する(あるいは両立する)ということであろうから、「野」と「庭」の話とはかなり違う次元の話だとは思うのだが、「野」と「庭」の間も実はそういう薄皮一枚の差であるのかもしれない。と言うか、薄皮一枚の差であるような庭の野を探したいと思うのだ。

そして、このこともまた「カテゴリー」の定義に関わる問題なのかもしれない。

ところで、話は違うが、こうした「追加」をそのページの編集窓でいちいち書き書き加えるのではなく、PDFのコメント追加のように簡単手軽に書き加えられるブログシステムあるいはWEBページシステムが欲しいと思う(実際にはそういうシステムは存在しているのだが、あまり一般的ではなく大きなサイトでの実施例を知らない)。

ブログはWEBページとは違って時系列を重んじるのだと思う(ただし、最新のものが最初に表示されるという程度の意味しかないと思うのだが)ので、そうならば、こういう後付けコメントをも含めた時系列表示があったらいいなと。

どのくらい時間が経った後で考えが変わったのか、あるいは、修正されたのか、新しいデータが追加されたのかがスッキリと分かるということは「思考術」にとって重要なことの一つだと思うのだが、どうだろうか。

 

(2017/06/30)