学生の頃にフランス文学で、『夜歩く』だったか、そのような名前の本を読んだことがあった。
細かい中身はもう覚えていないが、夜中に街を歩きまわる面白さを教えられたような記憶がある。
いや、建物の中だって夜は何かが趣きを変えるものだ。
夜の家々、夜の建物、夜の小径、夜の海岸通りの遠い明かり。
暑い日が続くが、今日はなぜか夜に歩きたくなり、由比ガ浜まで歩いていき長谷を少し抜けて帰ってきた。
夏であっても夜になれば鎌倉は静かになる。
海の側まで来ると相当に風が強く、ごうごうと風音がしていたが寄せる波は静かだった。
浜辺でさえ海の家の明かりは消え、ライトをもった人が数人歩いているのを見ただけだ。
夕涼みとも思えぬがそぞろ歩く人たちがいないではない。
それでも、あの昼の喧騒は何処かに消える。
不意に近づく人の顔の不思議な穏やかさを見ることもある。
なぜ時は繰り返し満ちて引くのか意味のない問いを歩き続けさえする。
見えぬ夜の水平線を眺めて風と人の歩く音
帰り道、小さな川に微かに照らす明かりに沢蟹を見た。
お前も夜歩くのか。
(2017/07/24)