鎌倉ヤマガラ日記

鳥の話はあれども野鳥観察日記ではない似て非なるもの

冬の向日葵

 

f:id:daymonthtraveler:20170126230109j:plain

 

冬一月だというのにまた向日葵が咲いて、今回は数日咲いたままでいる。
暖冬異変のせいではないと思う。

こんな恵まれない季節に咲かせた責任は私にある。
いや、正確には、私とヤマガラにあると言うべきか。

日頃与えているヒマワリの種をヤマガラがつついて食べるときに食べ残す部分が地面に落ちたものが、あるいは、いわゆる「貯食」でヤマガラが埋めた種が芽を出したのか、夏を過ぎた頃から庭のあちこちにヒマワリが伸び始めていた。

その場所は何箇所かあって、いずれもヤマガラがよく種をつついて音を立てていた場所なので、上のどちらか、おそらくは、前者なのだろうと思っている。
餌をつつくときに硬いものの上で叩くほうが上手くいくのか、玄関横の直径三十センチほどの鉢植えやたった一つだけ持っている小さな盆栽の鉢にもヒマワリが伸び上がっていた。
ヒマワリを探せば、ヤマガラの食事場所が何処なのかが分かるということだ。

咲かずに枯れてしまうのだろうと思い、何か申し訳ないような気がしていた。
案の定、雪の後には多くが萎れてしまったのだが、たまたま、陽当りが良い場所に落ち芽を出したものが小さな蕾を付けた。
咲くだろうかと半ば諦め気味に眺めていたものだったが、一つ目の花は運悪く咲いた翌日に雪が降ったせいか間もなく枯れた。
二番目は数日前に咲き、今日もまだ咲いていた。

光というものの、温度というものの意味を改めて考える。
人間は自分で暖房や冷房を作り使うことができるが、寒い冬には他の生き物は冬眠するか、種のように眠ったまま冬を越さなくてはならないが、思わぬ経緯で咲いた花は移動することもかなわず、ただ陽当りの中でじっと生命をつなぐだけだ。
それにしても、それなりに強い生き物であるのかもしれないとも思う。

この地球という星を含めて、環境というものを侮るべからず。
意図せざる偶然の連鎖が多いのも環境というものの、自然というものの特性なのかもしれないなどということを考えながら、しばし、寒さを忘れてヒマワリの花の前に立っていた。


 陽当りや冬の向日葵まだ枯れず誇るが如く今を咲きおり

 

(2017/01/26)