鎌倉ヤマガラ日記

鳥の話はあれども野鳥観察日記ではない似て非なるもの

今日の緑と白と赤

「あの、お庭のアレ、麦ですか」とお隣の絵本作家さんが言った。

「ええ、麦みたいなんですよ、餌台の撒き餌が落ちて芽が出てしまったみたいでね」と私。

「珍しくて懐かしい、一本もらって行っていいですか」

「ああどうぞどうぞ、面白くてそのままにしてるだけですから」

 

麦の穂が一本減ったとしても、あるいは、減らなかったとしても私にはわからない。

でも、そういうものにふと関心を持った人がいただけで麦もそして私も束の間幸せだ。

私は何を努力したのでもない、それなのにそういうことがある。

それは人生とか言う奇妙な代物の隠れた性質なのかもしれないと密かに思う。

 

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今日は湿った土地に白い花が咲くはずの湿地性カラー(オランダカイウの仲間)を四株植え(え、これってサトイモ科なのか!)、麦を捻じ曲げるまでに絡んだエンドウに手を、私ほどもある高い手をそえてやった。

たった一つだけ咲いている花の紫が美しく、それから、麦に絡みついた細い蔓が妙に愛おしく思えたから。

 

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次第に、というかかなりゲンゲの花の数が増え、それをよそ目に少しずつゆっくりとシロツメクサの花が増えていく。

一面に咲くのだろうか、咲くとしたらきっと五月の連休の後だろう。

 

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時の中の彼らの営みは美しい。

ああ、人はなぜこのように生きられないのだろう?!と思いながら、野の花たちを見ていた日。

 

日々の退屈な繰り返しをいちいち書き連ねるブログに慣れるのは嫌だなと思いつつ。

今日は他にも色々したことがあり、感動したこともあったのだが、それはまた先にでもと思う。

それよりもこの平凡でありきたりな植物たちの方をなぜか選んでしまう夜。

連休中はほとんど仕事をし続けるつもりだなのが、なんとなく嬉しい。

なんとなく。

 

(2017/04/28) 写真のファイルサイズが大きすぎるらしいのでドンと小さくしたため細部がぼけてつまらないが、まあ今日はそれでもいいか。  

ところで、記事のバージョン管理(旧バージョンの保持) ができるようになった後、なんだか編集ページの挙動が可笑しい時(修正したのに修正前のものが表示される時がある?)がある気がするが気のせいだろうな。