鎌倉ヤマガラ日記

鳥の話はあれども野鳥観察日記ではない似て非なるもの

畑とも呼べない畑・今年の水耕栽培ほか

  

今年は屋外水耕栽培でキュウリ2樽、ゴーヤ1樽、中玉トマト2樽、トマト1樽を試みている。

昨年、キュウリを1樽、晩夏から秋口に採れるものを試して、やや時期遅れだったが四、五本ほどの実りがあったので、今年は夏前からもう少しやってみようかと思って、上のような数にしている。

「樽」と数えるのは我が家の水耕栽培が樹脂製の樽(升あるいは大きなバケツとでも言えばいいか)に、ある仕掛けをしたものでやっているからだ。

昨年試したものは今年は昨年よりもはるかに豊作で、その要因は経験だけではなくて、周辺環境の変化もあるのだと思う。

 

一樽のキュウリはもう既に一本の苗から十本も収穫できたし、まだ、花が付いているのでもう何本かは期待できそうだ。

一般の土に植えたキュウリが、一本の苗から何本のキュウリを収穫できるのか不勉強で、というか未経験でわからないのだが、一本の苗から十数本なら良い方ではないのかと少し自慢気になっている。

トマトの方も順調で、枝の張り方をうまくコントロールできているようだ。

 

中玉トマトは、またしても赤くなりかけの実を誰かに奪われたので、トマト3樽分の囲いにしているフレームに防虫網を張ったのだが、その後は奪われていない(笑)。

犯人は誰なのか?

容疑者は結構多い。

辺りに生息する動物で可能性のあるのは、カラス、タイワンリス、それから、アライグマ、ハクビシンがいる。

 

ハクビシンは夜、庭に落ちた柿の実を食べに来ているのを何度か見たことがある。

アライグマは最近捕獲される個体が増えたのか、若干減った印象があるけれど、以前は、大きな睡蓮鉢にボウフラ対策に飼っていた金魚やメダカを全部食べられてしまったことがある。

むろんカラスは極めて目がいいので、もしトマトが好きであるなら赤く熟したのを見逃すはずはない。

タイワンリスは、ベランダを走って柿の木に飛び移ったり、バードフィーダーをいくら工夫しても鳥用の穀物を巧みに盗んでいくので、手に負えない。

しかし、今のところキュウリは食害に晒されていないのはありがたいと言うべきか。

 

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他にも今年は、サラダ菜やルッコラ、バジルもプランターに播いて、まあまあの収穫をしているのだが、今年最初に育ったルッコラはあっという間に昆虫類の餌食となってしまったので、二回目からは防虫網の中にした。

実は、枝豆とトウモロコシも育てているのだが、これは基本、地面で、つまり土で育てている。

家の東側の書庫にしているプレハブの横の空き地がそのための畑なのだが、そこは鎌倉の谷あいのことで日照条件がなかなか難しい。

枝豆のために確保できた場所は日照時間が少なめで、しかも、また雑草が跋扈しがちなので、雑草に負けてしまう。

写真は、枝豆を3列に播いたのだが、それがちゃんと育ってきたのがほぼ2列になり、その後、ちょっと目を離した隙に雑草にいじめられて弱ったのがあり、歯抜けの2列になっている。

 

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そこで、今年は枝豆をプランターに播いて日照条件の良い場所に置いてみた。

結果は写真のようにプランターの勝ちらしい(まだ実りを見ないとわからないが)。

 

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奇妙なことだが、水耕栽培もプランターもコンクリートを張った上にあり、雑草とは無縁、土とも無縁だ。

こういう状態を「畑」と呼ぶのは気がひけるのだが、菜園であるとは言えるのだろうか。

いろいろと奇妙なことをしている気がするわけだが、新しいことは古いものやことの新しい組み合わせから出てくるという考えは、自分の経験や学問から得た、私にとってはメイン・テーゼみたいなものなのだ。

 

トウモロコシは、南側に建っていた二つの二階建て家屋がなくなり日照条件が良くなったせいもあって、今のところ順調で、花穂が膨らみつつあるが、背はまだこれから伸びる。

 

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いろいろと試行錯誤をしていて農業試験場みたいなことをしているふうだが、私は家が農家だったわけでもなく、今も農家ではない。

農家の人たちは本当によく頑張っておられるに違いないと、このくらいの家庭菜園をしていてもつくづく感じるものだ。

小動物たち、昆虫たち、日照条件、降雨量、それから風。

そういった制御が難しいものと戦い続けないと農業なんてまともにはできないのだ。

 

それから、今年は以前に植えたオリーブの横と南側の竹垣のそばに合計3本のイチジクを植えた。

私が小さい頃に家に大きなイチジクの木があって、その味が忘れられないということなのだろう。

植えて最初の年は実もならないのだろうなと若い苗を植えながら考えていた。

昔あったイチジクの木は3メートル以上はあったと記憶していて、その位でないと実は期待できないのだろうと。

 

しかし、気温が上がり始め、日差しがが強くなると、枝も葉も育ち始めて、やがてある日、実がなっているのに気づいた。

イチジクは無花果と書くように花が外からは見えない不思議な植物だ。

言ってみれば、袋状の花複合体ができ、その中の無数の小さな花が真の花、やがて、その袋状の花複合体が実に変わる。

そうなると、我々はもしかしたら実ではなく「無花果の花」を食べているのだ。

あのイチジクの独特の食感は無数の花を食べている食感なのかもしれないと考えると楽しくなる。

受粉の役割を果たしてくれるイチジクコバチは小さくて、実(?)の内面に入って、内面にある花を受粉させるのだとか(イチジクコバチを必要としない種もあるらしい)。

 

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さて、私のイチジクの実は食べられる実になってくれるのだろうか。

もしかしたら、また、タイワンリスかカラスの餌食に?

 

自然に取り囲まれている環境というものは、こんなレベルでも、実に多くの困難を抱えている。

しかし、困難があることということが結局は生きるということなのだろう。

 

実より花が好きで植えたオクラは今年はまだ花を見ていない。

もう少し時間が必要なのだろうと思う。

 

(2018/07/02)