鎌倉ヤマガラ日記

鳥の話はあれども野鳥観察日記ではない似て非なるもの

花咲けばこそ夏

 

そう、とうとう、播いた年にヒルザキツキミソウが咲いた。

野の花だといえば野の花なのだが、以前住んでいた辺りの散歩道の土手に群生していたのが忘れられずに、性懲りもなく毎年種を播いては花を見ず、翌年に幾許か咲くだけだった花だ。

昨年播いたのが今年花を咲かせた株はまだ数日に二三輪ずつ花を咲かせている。

それと同じだけ勢いがあれば、一畳ばかりの空間に、十字の蕊を持った薄桃色の花が夏中咲いてくれるかもしれない。

この花植物の葉を食べる虫は多いらしく、ほっておくと葉が穴だらけにされてしまうので、先週少しだけ食品由来の薬を播いてやったら、元気が出たのか花が咲き始めたのだった。

まあ、それなりの季節が到来したということなのだろうが。

 

この花が遅い午後の陽光を透かして咲く姿は本当に花の名前が正しい命名だったことを教えてくれる。

ある時間帯に見ると、月の光に照らされて咲いているかのようにさえ思えるからだ。

 

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周囲はシロツメクサが繁茂しているから、それに負けるかもしれないのだが、去年播いて今年咲いたと思われるヒルザキツキミソウは気丈にも繁茂するシロツメクサの中で伸び上がって花を咲かせた。

どれほど、それと同じことが起きるかはわからない。

今年は余りにも暑い。

避暑地である鎌倉も今年はかなりの高温で、熱中症の観光客でも運ぶのか、この周辺でも数日に一回は救急車がサイレンを鳴らして坂を駆け上がってくる。

その暑さに花はどれだけ耐えられるものか、私にはわからない。

それでも、こうして毎朝、庭の片隅に健気に咲く姿を見ると慰められる気がする。

 

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オクラの花も幾つも咲いている。

この花の透けるような花弁の美しさを私はずっと以前から愛している。

成る実は副産物に過ぎず、私が望むのはこの花だ。

ヒルザキツキミソウのピンクとアクラのイェロウ、いずれも光が透ける薄い花弁の花だ。

 

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にわか作りの瓦花壇に植えた花たちも、強い日光に酔うように咲いている。

 

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このポーチュラカも植えた時は今の5分の1もない小さな苗だった。

本当に繁殖力の旺盛な花だと思う。

 

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鉢植えのアラビアジャスミンも八重咲きの白い花を毎日幾つも咲かせてくれる。

花ばかりでなく背ももう少し高くなってくれればいいのにと欲をこいているのだが、花と茎・葉の成長度の関係は、実と茎・花の関係と似ているのか、両方がともに良好になるのには、何かの秘訣がいるのだろう。

窒素など、確かに花壇は地植えよりコントロールしやすいものらしいが、鉢はまたそれなり難しいところがあるようだ。

 

何にせよ、花が咲けばこそ夏。

酷暑で困難を背負いながらも夏の花が咲くのを見ることができることを幸いと思って息をし続けよう。

 

(2018/07/23)