2018年9月末の台風24号はきっと私の記憶に長く残ることだろう。
それが滅多に無いほどに強力な台風であることは事前に知っていた。
南側に空き地ができてしまったので、南風はもろに吹き付けると考えていた。
それなりの準備もしていたが、それ以前に来た台風とさほど違うまい、違ってもこの程度だろうという甘い予測で準備しただけだった。
それにもうトマトやキュウリの季節はほぼ過ぎ去ろうとしていたし、ベランダに設置した自家製の特殊な風力発電風車もどこまで耐えられるか耐久力を見てみたいという気も有って屋内にしまうことをしなかった。
台風がやってきて、風雨が強まっても私は特に不安を感じなかった。
風力発電風車が勢い良く回り、青色LEDが光り続け、発電された僅かばかりの電力を知らせる電子オルゴールも鳴り続けていた。
夜中の3時頃まで起きて、それを見聞きしていたのだが、やがて睡魔に負けた。
翌朝早く、ベランダの風車が倒れているのを発見した。
悪い予想では風車部分が台からもぎ取られて壊れるかもしれないと思っていたのだが、風車部分は壊れてはいなかったが、かなりの重しをしてある鉄製の台が風車部分を載せたまま倒れていたのだ。
これは予想を超えていたが、一方で、風車自体が予想以上に堅牢だったことには気を良くしたと言っていいかと思う。
実際のところ、このモデル風車は1年以上風雨に耐えて来たので、そろそろ規模を少し大きくするバージョンアップを考えていたこともあって、意外にすっきりした気分で風車の哀れな姿を眺めたものだった。
よくぞ今まで頑張ったなというような。
外に出てみたが、スイカズラの生け垣のにわかづくりの棚はしっかりと強風に持ちこたえたらしく、ほとんど完璧な状態だった。
それは自分らで作った竹垣もそうだった。
庭を一回りして、自転車小屋と水耕栽培トマトの網付き囲いが倒壊しているのに気づいたが、これはそうなるものと予測していたこともあって、後片付けが要るなと思ったぐらいだった。
いや、そもそも、もうそろそろ次の形に変えるために解体しようと思っていたところでもあった。
他にも北庭のノウゼンカズラの柵が曲がっていたが、これも程度はさほどではなく、驚くほどのものでもないと思った。
そうして、朝食を済ませてから、トマトの囲いを片付けようとして、初めて気づいたのだった。
「あれ、自転車小屋がないぞ!?」
自転車小屋と言っても、昔有ったようなちゃんと建築されたものでは勿論なく、金属フレームにビニールカバーが被った自転車3台分ほどのものだ。
トマトの囲いと同じようなフレームで、そのトマトの囲いが壊れてしまったので同様に倒壊していると判断していたのだが。
昨年の台風でも風に煽られて場所が少し移動してしまったので、フレームの下の部分に相当の重りになるように45x30x30センチ程度のプランターを4つ置いていた。
そのおかげで、今年のこれまでの台風にはびくともしておらず油断していた。
その重しのプランターを押しのけるほどの揚力がカバーにかかったということなのだろう。
見回す限り何処にも見当たらない。
ということは、南からの強風にさらわれて、見える範囲外、何処か遠くに飛んでいってしまったのか・・・
確かに、さほど頑丈そうでもない組み立て式フレームだったので、完全にバラけて飛ばされた可能性はある。
しかし、そうだとすると、何処か目には見えない距離の「御近所」に迷惑がかかっているかもしれないと不安になったのだが、公道に出て周囲を歩いてみたが、どこにもそういう「被害」の痕跡はない。
「本当に風にさらわれたのか?」
しばらく見当もつかないままだった。
用が有って二階に戻って、ふと外を見る。
「ありゃ、あんなところに」
150坪ほどの土地を隔てて、親戚の家があるのだが、その家と石垣の間に見事にすっぽり収まっていたのだ。
言ってみると、自転車小屋のフレームは少し曲がっていたが壊れてはおらず、カバーもそのまま。
実に見事に風の力で20メートルほども飛ばされていたのだった。
台風の被害といえば、そんな半分笑いたくなるようなことだけに思えた。
「やれやれ」とは思ったが急ぎ自転車小屋を回収して事なきを得た。
と思ったのだが、それは間違いだった。
ちょっと話は少し前、というか、夏前に遡る。
以前にも書いた理由から、古い柿の木を移植せざるを得なくなり、移植すればどうせ枯れるから切るかという意見も有ったのだが、助けようと言ってくれた人も有って、春頃に移植し、なんとか生きて、やがて葉を伸ばしてくれたのを嬉しく思っていたのだった。
しかし、秋が近づいて少し早めの寒さが来た時、すべての葉が枯れ落ちた。
「ああ、やはりダメだったか」とやや落胆したが、それも半分は予想したことであったので、「ダメならば予定通りに」と柿の木の根本にノウゼンカズラを植えた。
暑い夏、ノウゼンカズラはすくすくと伸び上がり、柿の木の高い枝まで蔓を伸ばしていた。
こうして、ある命が終われば、また、新しい命を眺めようとする。
それは、死んだものには申し訳ないが、生き残っているものの性(さが)なのかもしれない。
そうこうして夏がそろそろ終わるかという頃に、思わぬものを発見した。
それはもう枯れてしまったのだろうと半分以上諦めていた柿の木の根もと近くから、言ってみれば「蘖(ひこばえ)」のように若い枝が伸び始め、やがて葉を広げたのだった。
生命力に対する驚きもあったけれど、それ以上に「お前、よく頑張ったな」という不思議な共感に似た感情で胸が一杯になったものだった。
それは一種の復活劇だったとも言えるのだが。
同じ頃だったと思う。
南側の瓦花壇に植えた酔芙蓉が咲き出した。
白い花が朝から夕方にかけて次第に色づいていくのを、酒に酔って頬を赤くしているようだと思った人が名付けたのだとか。
そのことをここに書こうとしていたのだが、忘れていたらしい。
待ち望んだ花だったので、咲いたことでもう十分嬉しくなり、それ以上は要らなかったということだったのだろうか。
それとも、その後に起きた事どもにとりまぎれてしまったのだったか。
そして、そこへ24号がやってきたのだった。
24号は強力な台風だったのだが、関東に来る頃にはどちらかというと風台風になっていたらしい。
風は、上にも書いたように、風車を台ごと押し倒し、自転車小屋を吹き飛ばしたほど強かった。
だが、風力被害は我が家にとってはそれほどではなかったのだ。
問題は、風が吹き荒れながら多くの雨を降らさなかったという点だった。
トマトの囲いや自転車小屋を片付けているときに、その柿の木の蘖が褐色化して萎れているのに気がついた。
風に煽られて弱ったのかと考えた人もいたのだが、私の頭にはすぐにこの言葉が浮かんできた。
「これは塩害だ」
鎌倉という土地は海に面した避暑地であったし、海岸と谷戸に囲まれて周辺から攻め込みにくい場所として鎌倉幕府が置かれたところでもある。
つまり、海のそばの町なのだ。
由比ヶ浜海岸近くに親戚が住んでいるが、随分昔に聞いた話では、かの関東大震災の折には、庭が海になったという。
しかし、我が家は海からは離れていて、谷戸の奥、いわば山側にある。
しかし、だからといって海から遠く離れた場所ではない。
学生時代にも夏などは、東京の大学から夜に帰ってきて鎌倉駅に降り立つと海の、潮の匂いがしたものだった。
しかし、もう長いこと、「塩害」という言葉は忘れ去られていた。
私自身もここで実際の「塩害」に遭遇した経験はない。
だが、その言葉は昔から鎌倉に住んでいる者は脳裏の何処かに仕舞い込んでいるものなのだ。
改めて庭の草木を見て回る。
ノウゼンカズラもスイカズラも葉が褐色化して萎れている。
今年植えて実りの有った無花果の葉も半分以上枯れているように見える。
庭の周囲を守らせようとして植えたカツラの苗木のハート形の葉も、それから南側の瓦花壇の酔芙蓉もだった。
酔芙蓉は、その葉の一部だけが萎れていたが、多くの蕾を支える茎は相当数折れてしまってもいた。
その日、私は、雨の少ない夏に水撒きをした北庭と南側の二本の長いホースで、ずっと水まきをしていた。
いや、水をまくというのではない、木とその葉を洗い続けていたのだ。
言うまでもないことだが、塩害は風に煽られて海水が吹き飛ばされ、木々の葉に付着する。
雨が多く降れば塩分は押し流されて地面に落ちるが、雨が少ないと塩分は葉の周囲に残り、葉の水分を「吸いだしてしまう」のだ。
だから、水をいっぱいかけてやって、可能な限り塩分を洗い落とす。
その努力に効果があったのかなかったのか今も定かではない。
多くの薄い葉は萎れて落ちた。
横浜や東京、埼玉でも公園や並木の木の主に南側だけが褐色化して萎れたことが、何日も後になってからニュースになっていた。
電線の漏電火花や火災もあったようだったし、ここでも台風からしばらくした雨の日、思いもよらぬ時に停電が起きたりした。
のんきなキャスターたちは、「紅葉はだいじょうぶでしょうかね」などと言っていたが、これはそういう「お楽しみ」を奪われるだけでは済まないことなのだ。
おそらく、農作物にもその他の植物の生育にも大きな影響を与えるだろうと私は感じた。
その後の、この一ヶ月ほど、私は庭では何ひとつ仕事をしなかった。
台風の前に庭の草刈りはしてあった。
今年は夏が暑かったせいか、例年にない雑草が跋扈していてかなり大変だった。
刈った雑草の一部だけで小山のような草の築山ができたくらいだ。
左にカツラのハート形の葉が見える
そこへ台風。
そして、塩害。
台風の後2週間ほどは庭は枯れ果てた感が有った。
酔芙蓉の葉は全部枯れることはなかったがダメージはあった。
ノウゼンカズラは根は生きているかもしれないが、葉の殆どは枯れている。
庭はすっかり褐色の世界になってしまった感があり、「秋だから」という思い以上に庭仕事の気力を失わせていた。
特に、蘖した柿の木のみずみずしかった葉が無残に枯れたことはショックだった。
死にかけて息を吹き返してきたところを塩害に襲われて、とうとう息の根を止められたと感じたほどだった。
「リセット」という言葉が私の頭の中で何度も繰り返されていた。
やはり、この半年余りの努力は捨てて、この地を去って新しい場所に移り住むべきなのではないのかと。
それからほぼ一ヶ月が経とうとしている。
少なかった雨がやや戻り、秋雨というべきか一日降り続く日が何日かあり、曇の日々が尽きたように快晴の日がやってきた。
酔芙蓉は花を幾つも付けている。
台風の後しばらくは無駄に萎れた蕾を付けているように見えたのだが、ここにきて、忘れていたことを思い出すかのように咲いている。
柿の木のノウゼンカズラはまた葉を伸ばしている。
枯れていなかったのだ。
カツラの木も新しい葉を付けた。
きっと季節が狂ってしまって、どうしていいかわからなくなっているだろうに頑張っていると思う。
先のこともよくよく考えもせず4本のカツラを植えたのだが、いずれもまだ半分は一部褐色化した葉を残しながら、もう半分は新しい葉を付けている。
秋なので微かに紅葉化してきているのかもしれない色合いだ。
塩害報道ののなかで、樹医だったか植物の専門家だったかが、塩害で葉が萎れ枯れることについて、こんな表現をしていた。
「塩にまみれた葉は水分を奪われて萎れてしまう、木はこれはダメだなと考えて、傷んだ葉を落として生き延びようとするんですよ」
塩分によって、木々や草の葉の水分が失われる過程は、浸透圧やその他の細胞レベルで植物的な現象かもしれないが、その基本は物理化学的な現象なのであり、植物の側からすれば受動的に影響を被る他はなく、簡単に植物が防ぐことができるようなものではない。
それでも、それに全く対処することができないのであれば、その植物種は今まで生き延びてはこられなかっただろう。
それが、「敢えて葉を落とすことなのだ」とその人は言っていたように思う。
肉厚の葉を持つ植物や、風に当たらない位置に有ったもの、あるいは、もともと塩分に対して強いと思われる植物たちは、かえって今頃になって元気を出しているようにすら見える。
写真は載せないが、柿の木と同時に移植した椿は悔しいほど元気そのものだ。
湿地性カラー
オリーブも大きくなってきた 左には葉の一部が褐色化した無花果
岩壁に守られていたイワタバコ
塩害に強かった金蓮花 さすがペルーの花だ
驚いたのはシラユキゲシ 暑い夏場には弱ったかに見えていたのにハナミズキの根もとを覆って繁茂している 来年はあの可憐な白い花がいっぱい咲くだろう
柿の木は季節のせいもあって、もはや蘖して葉を付ける様子はない。
完全に枯れたのかもしれない。
それは、おそらくは来年にならなければわからないことなのだろう。
それは、今のこの場所についての私の様々な思いを象徴することのようにも思える。
どんなものにも、どんな判断にも時間が必要なのだろうか?
またしばらく私はここに書くことはしない気がする。
(2018/10/29)