数日前からか鶯の声をよく聞くようになった。
よく聞くと言っても始終鳴いているというわけでも、確信して鳴いているわけでもない。
どこかまだ季節に戸惑っている、そんな鳴き方だ。
ああいう熟しきっていない鳴き方はさすがの蛾眉鳥でも真似られないだろうと思う。
それほどに仄かで柔らかで不安定なのだが、惹かれるものがある。
完成品は真似しやすいのか、あるいは完成品でなければ真似る意味がないのか、両方の場合が在るに違いない。
そうして春めいてくる小さな谷津の空間にいると世界から切り離されているような気がする。
世界とは何だったのか。
それは完成したものなのか。
そんなはずもないのに、ふと完成された世界のことを考えたりした。
(2017/03/20)