体系的、つまり、システマティックに書いてはいけない。
それほど体系的にものが書けるわけでもないのに最近よくそう思うのは職業的性格への反抗心のせいだろうか。
気楽に考えもせずに(時には自堕落なほどに)書くことも大切なのだと思う。
そういう、言ってみれば「雰囲気書き」が思わぬアイデアを捉えていて、それを少しだけ延長したところに思わぬ喜びがある、そういう書き方に最近とみに憧れる。
ヤマガラの話も、最初の最初から書き始めるという生き方もあるのだろうが、そうせずに書くことにする。
ヤマガラなどがヒマワリの種を好むことは多くの愛鳥家たちが指摘することであり、それに関する動画も数多い。
それに、敢えて自分なりの一枚を付け加える意味もないのにそういうことをやってみるのは、上の理由からかもしれない。
ビデオ撮影なんて本当に久しぶりだが、目の前に現れるヤマガラを見ていて、仕舞いこんでいたビデオカムを引っ張り出して慌ててセットした。
今、ヤマガラに対する感情については書かずに動きだけを見てみるが、器用なものだと思う。
軽い乾燥したヒマワリの種をひょいとつまみ上げては放り出す。
なぜせっかくつまみ上げたものを捨てるのか私には全くわかっていなかったので、いつも「なんだ、もったいない!」と。
しかし、無駄に遊び半分つまみ上げては放り出すほど自然界の鳥たちは暇ではないはずだ。
ではなぜ「ポイ」してしまうのだろう。
そこに何かしら選好(より好み、preference)的なもの、例えば、好みの味が予想される種である否かといった事柄があるだろうとは思ってはいた。
A Varied Tit (Parus varius)'s Percussion ヤマガラのパーカッション
この非常に短い動画の中で、最初に一個を「ポイ捨て」した後で新しくつまみ上げた種をくわえて、ヤマガラが首を振る。
「餌だ餌だ!」という感動で踊りだすこともあるのかもしれないと以前には思ったこともある。
しかし、ヤマガラにとっては、これはもうほとんどルーチンワークなのだから、そこに踊りだすほどの感動はないだろう。
私としては、見慣れた行動であって、それをただ見慣れたまま過ごしてきたわけだが、このときは、遠目からだとわかりにくかったある点に気づく。
それは音だ。
しかも、勢いよく飛び降りて、にわか作りの餌台に降り立った時のような「バシッ」という大きな音ではない、小さな音。
動くのに連れて小さな尾羽が軽いペットボトルから作った台に触れて音を立てているのだろうか。
繰り返し聞こえてくる、まるでかすかにマラカスか何かを振っているような音だ。
何の音かを理解するまでに随分時間がかかってしまった。
これはもしかすると、ヒマワリの種が鳴っている?
そう思って鳥の首の動きと音とを見聴き比べすると、確かに尾の動きとは同期していないが、種の動きとは同期している音だった。
そうか、種が鳴っているのだ!
そこまできて、私自身、ヒマワリの種の重さが一つ一つ違うことを思い起こす。
いわゆる「感じてはいたが気づくところまで行っていなかった」というやつだが、ここで初めて、その軽さは種の内容物の密度、つまりは、「栄養の確かにある食べごろの種」であるのか「ガラばかりで中身の無い中空の種であるのか」ということなのだと理解した。
種が十分育っているかどうかを含めて、自然界は確率研究の宝庫だなと今更ながらに考える。
つまり、ヤマガラは、「当たりクジ」かどうかを種を振って確かめ、「ハズレクジ」は捨てていたのだ。
その選別のためにヤマガラは種をくわえて細かく振って音を(あるいはかすかな振動を)感じ取っていた。
これは賢くて素晴らしい行動だと思う。
自然界は知恵に満ちているということを再認識する。
ただ、まだ私にはわからないことがある。
空の種は軽いからわかるが音はしない。
非常に充実した種は、内容物が殻にくっつくほどであろうからこれも音がしないはず。
この動画のヤマガラのように音を確かめて、それをわざわざ運びやすいように足を使いながらくわえ直して持ち去ったのだから、少なくともある程度の、あるいは、ある種の音が餌として良い徴なのだろう。
では、充実した、かつ、鳴らない種は捨てられるのだろうか。
そうだとしたら愚かな選択方法だということになってしまうが、そんなはずはないと私は自然に対して期待を寄せる。
きっと音だけではなく、重みも考慮されているのかもしれないと。
しかしまた、別の可能性もないではない。
つまり、ある程度の音がするほうが味やその他の点で望ましい特性を備えているのかもしれないという可能性だ。
その他の点には、「食べやすさ」という要因も含まれるだろう。
固い殻を嘴でつつき破って内容物を食べるとき、そこに、殻と内容物との間に、ある程度の空隙があったほうが殻は破りやすいとかだ。
しかし、そこまで来ると、それこそ捨てられた種、ほじくられてから捨てられた殻とかを収集して細かく分析しないと是非はわからないだろう。
いつかそういう時間を持てる日が来るかもしれず、またそういう時が来ることを望みもするが、今はそうではない。
A Varied Tit (Parus varius)'s Percussion ヤマガラのパーカッション slow motion ver
さて、もう一点、首の動きをよく知りたいと思って動画をスローにしてみて気づいたことがある。
私がもしヒマワリの種を振って音を確かめたいと思ったなら、種をどう振るか。
おそらく私のイメージでは「上下動させるように振る」だったので、無意識に(よく観察もせずに)ヤマガラも種を首を上下に振って鳴らしているのだと思っていた。
しかし、スローモーションからわかったことだが、ヤマガラはむしろ首を前後に振る形で種を振っている。
それがなぜなのかに私は強く興味を惹かれた。
今、私が考えられる答えの選択肢は2つある。
1)マラカスだって振り方によっては音がしない場合や、ひどい音になってしまう場合があるだろう。
ヒマワリの種の場合も形状が完全な球とは程遠いので、その内容物の移動可能な方向は自ずと限られてくる。
ヤマガラはそのことを知っていて、あるくわえ方でくわえて前後に振っているのではないかという可能性だ。
2)これは人間を含む動物種でありそうなことだが、運動の同型性ということだ。
ある運動Xともう一つの運動Yがあったとして、XとYの機能・役割・意味・目的(なんでもいいが)は違うが、運動的には類似したものであるということだとしよう。
例えば、余り良い例ではないが、苛ついて指で机をトントン叩く運動と、ピアノの鍵盤を叩く運動のようなものだとしておこう。
このヤマガラの場合は、食べるために種をつつくときのそれこそキツツキ的な首の前後運動と、今見て不思議だと思っている種パーカッションの時の首の前後運動の二つだ。
苛つき指と演奏指の場合はどうかはわからないけれど、ヤマガラの首のこの2つの前後運動には、広く考えて(ここが肝心なところだ)、摂食という同一の目的・意味がある。
それぞれの機能的意味は異なっているが、大所高所の目的では同一だから、ついつい同じ形態の運動をとるのではないのか、という可能性だ。
いやまだあったか。
3)第3の可能性は、2)とも関係するが、鳥の首の構造に関係するものだ。
鳥の首は嘴の長軸方向で前後運動できるが、嘴の付け根部分を中心にして先端部分が円弧を描くような回転運動(大雑把には上下運動)は比較的得意でないという可能性だ。
前後運動のほうが生存機能(食べる)上で優位なのだとすれば、そういうこともあるはずだ。
しかし、その場合、種のくわえ方は首の運動方向によって二次的に規定されていることになるのかもしれない。
さて、どちらなのか。まあいつか分かるときがくるだろう。
それまでに、もっと「広く考えて(広義の)」ということを考える時間がありそうだ。で、来年になる、らしい。
(2016/12/31)