庭の北東側は山に接しているので、そこには崖が有る。
崖といっても草木をかき分ければ登っていける程度のものだが、その麓の一部としてけっこう大きな一枚岩があって、そこにイワタバコ(Conandron ramondioides)が群生している。
鎌倉というとイワタバコを思い浮かべる人も居るらしい。
たしかに、鎌倉らしい寺々は山沿いにあって崖を背にしているところが多く、その中の幾つかの寺ではイワタバコが美しいそうで、それを見に訪れる人もかなりいると聞く。
たしか母方の菩提寺も群生地として知られていたかと思うのだが、そこまで見に行った覚えはない。
庭の竹藪の向こうの岩は湿潤で、しかも、強い直射日光に晒されないですむので、イワタバコには生きやすい場所なのだ。
タバコの葉のような大きな葉と鮮やかな紫の小さな花は、日陰だからなお映える。
しかし、それは人間にとっては必ずしも良いことだとは限らない。
鎌倉は山がちで緑が多いためにまた土壌も湿潤であるところも多く、夏にはそれが清涼感を与えてくれるのだが、季節によっては住む者にはいささか煩わしかったり困らせられたりすることなのだ。
ちょっと前になるが、ここに戻ってきた頃だったが、竹やぶの陰のイワタバコの傍でサワガニらしい蟹を見たときには驚いたものだった。
小川があるわけでもないのに元気なサワガニが居るということは、その場所の湿潤さを証しているようなものだったからである。
このイワタバコのテリトリーは私が生まれる前からのもので、祖母がずっと大事にしていたのを思い出す。
イワタバコが枯れないようにとわざわざ竹がその岩壁の前に増えるようにして、イワタバコを守っているようでもあった。
その頃からここにはサワガニが出没したりしていたのだろうか。
腕白で崖をよじ登って遊んでいた私なのだが、サワガニを見た記憶は全くないように思う。
もっとも記憶というものほど当てにならないものはないのだが。
イワタバコは多年草なのだが、「多年」というのは一体全体どのくらいの時間を指すものなのだろうかとふと思った。
湿度は私が庭にシロツメクサを繁茂させようと思った理由の一つなのだが、そういう場所には紫陽花も似合うかと昨年植えた紫陽花が少し前から咲いている。
昨年は頼りなげな花を付けただけだったが、今年は少し勢いがある。
元々ある大きな紫陽花はまだ咲かないのだが、新参の紫陽花たちは緑の中で光り出す。
緑。
濃い緑の季節になったなと思う。
家の作る日陰がまるでデュフィの黒のように緑の視野を切っている。
一週間ほど前に一部の詰め草を刈り取り、窒素の増えただろう土を耕して、五条ほどの畝を作って蒔いたトウモロコシと枝豆が幾つも目を出していた。
少しばかり考え工夫した水耕栽培の樽に植えたトマトの苗はちゃんと育つだろうか。
一つ一つの植物たちの成長を我が事のように一喜一憂して過ごす。
それもまた一つの人生の相、phase なのだろう。
(2017/06/09)