昨日は半夏生だったのか。
「花の季節」と言ったら、それはおそらく春のことなのだろう。
しかし、花が咲くのは春だけに限ったことではないし、新緑の頃にもさまざまな花が咲く。
おそらく、日本では「花」は桜で、それゆえ「花の季節」は春になり、それから概念拡大して、いろいろな花の季節も春だとつい感じるようになったのではないかと。
この春、私は梅も桜も花の印象が乏しかった。
花どころではなかったというのが正直なところなのだ。
しかし、それでも、私は春の後、夏に咲くであろう花のことはずっと意識の中に留めていた。
今年の梅雨は数日しかなかったと思うのは南関東に住んでいる人間だけだろうか。
梅雨空がやがて晴れ上がり、かっと暑くなった夏空の青を見上げる。
その変化は梅雨が長ければ長いほどドラマチックになるはずなのだが、今年はいつの間にか梅雨が来てまたいつの間にか梅雨が終わって、しかも初夏を通り越して夏になったり、寒さがが戻ったりして、季節の実感がはっきりしない。
それでも、日射しに映える緑を背景に花たちの咲くのを見ると、時間は、あるいは季節は、いつかは確実にやってくるものなのだと考えざるを得ない。
私の花に対する意識が例年と違うのには他にも理由がある。
その理由もおおいに手伝って、今年はあれこれの花を植えることを考えてしまったのだ。
北の家を解体してできた「空き地」を何らかの形で埋めようとしたことは既に書いた。
そのための一つである向日葵は竹藪の前に高く伸び上がって花を咲かせている。
毎日、ひとつの花が追加されるような気がする。
その後ろにはもう一つの瓦の築山ができている。
深く埋めることをしないで浅く播いてしまった向日葵の根は浅くて、風が吹くと倒れかけるものもある。
そういうものを抜いては築山に捨てる。
そこに新しい向日葵の土ができるようにと思っているのだ。
その花だけはいくら大きくても家に持って入ってガラスの花器に生ける。
解体する家のそばに植えてあったムクゲの花2本は、そのままでは解体する重機に踏み倒される位置にあったので、他の場所に移植しなければならなかった。
解体する家の周辺ではないところで適当と(少なくともその時は)思えた場所は、多くの実を付ける梅の老木の陰だけだったので、そこに植えた。
枯れはしなかったもののかなりの時間日陰でもあり、元気が良いとは言えない時が二、三ヶ月続いた後、6月の終わり頃から、一気に咲き始めた。
息を吹き返してくれてよかったと思う。
ここ何日かの強めの風に揺れる、透けて見えるような薄い花弁の花を見ていると、単純に嬉しく思うものだ。
私は、アオイ科フヨウ属の花の形が好きらしい。
従来通りの場所に咲く花たちも元気そうだ。
おそらく私は今、大きな変化に対処しきれずに、いくばくか心を病んでいる気がするのだが、花たちはそんな不安を笑い飛ばしそうに咲いている。
まだ花は咲かないが、従来から有って、かつ、今年の変化の影響を被ったのがノウゼンカズラ Campsis grandiflora だ。
記憶によれば、この花は中京圏に行く前に、今は無き北の家の傍らに私が植えたものだったのだが、ノウゼンカズラは強い植物で、地下茎を縦横に伸ばして、そこら中に芽を出しては旺盛な生命力を誇示する植物だ。
私がここに戻ってきて最初に驚いたのは、そのノウゼンカズラが北の家の西側の外壁一面に気根を付着させ、ノウゼンカズラの壁ができていたことだった。
しかし、その更に西側に大きな屋根まで届く椿があって、ノウゼンカズラは日照の最も良い場所にしか花を付けない(だから、高い棚に仕立てると、人の目の届かない上側にしか花が咲かないはめに陥る)ので、結局壁は強い蔦だけの壁になり、花は瓦の上にまで上り詰めてそこで咲くことになった。
自分で植えておきながら、屋根の上に咲いているとは気づかず、蔦ばかりかと嘆きさえした愚かな私であったが、屋根の上に突然咲いた赤い花は、私だけでなく周辺の皆にも強い印象を与えたらしい。
だからと言うのではないが、家を壊すときにも、作業する人には面倒なことだと予想されたが、根の部分(というか、茎の密集した部分)は重機で踏み潰さない、掘り起こさないようにと敢えて頼んだ。
それでも壁に張り付いていた蔓の茎と気根は全てはちぎり取られてしまうので、長くそこに生息していた花は枯れる恐れもあったのだ。
家がなくなった後、ノウゼンカズラの根元は乾燥した茎のままで枯れた感じになって、生きているのかどうかがわからなかった。
しかし、ほどなく、それこそ鶴岡八幡の倒れた大銀杏の蘖(ひこばえ)のように小さな芽を出した。
いろいろと手当をしてみたものの蘖は一向に大きくならず、やはり弱ってしまったかと思いながら三ヶ月近く。
5月の半ば頃から急に蔓を伸ばし始め、その勢いはかってのそれよりももっと旺盛であると思う。
下の写真は、先日の雑草刈り前なので雑草とシロツメクサなどに囲まれてしまっているが、ノウゼンカズラはとてもそれらに負けるとは思えない勢いで大きく伸び上がろうとしている。
今年は花を咲かせるかどうかはわからないが、少なくとも何本も打った杭と簡単なアーチには伸び広がってくれるものと期待している。
もう一つ、播いたのにまだ咲かない花がある。
今年は茎を伸ばすだけで終わる可能性もある。
何年も土が合わないのか播く季節が合っていないのかなかなか多くの花に達することができない、そう、例のヒルザキツキミソウ。
シロツメクサとゲンゲの間に一畳ほどの場所を残して、そこに種を播いたのが、上のように芽を出して育ってきた。
あるいはまた、シロツメクサや他の要因に負けてしまう可能性も否定できないのだが、あの薄桃色の花が数多く咲くのを夢に見る思いではある。
目下のところオクラも咲いていないので、幾つも咲いてくるキュウリの黄色い花が愛おしくさえある。
実は、花らしい花は南側に新しく瓦と玉石で作った花壇にある。
いろとりどりのポーチュラカが元気で、あっという間に広がっているが、他にも花らしい花を植えてみた。
長めの緑の大きな葉の植物は、秋にならないと花を咲かせない。
それまでは無事に伸びてくれることを祈るしかない。
咲く頃になったら、そして、実際に咲いたなら、それが何の花かを書くことにしている。
伸びれば1〜2メートルになるものらしいので、竹垣の続きとして南側の生け垣にできないかと思って十本ほどの苗を植えた。
その奥の方にも数本別の花を植えた。
支柱を添えてあるものがそれだが、同じものを鉢植えにしたのが下の写真の手前に見える鉢。
これももっと背が高くなると聞いて植えてみたのだが、半分、鉢植えにしておこうと思ったのには理由が有って、この花がもともと暖かい地域の花で、寒さに弱いと言われているからだ。
この地は比較的温暖であり、零下になることは少ないのだが、その辺が限界なのかもしれず、それを試してみたくも有って、このような植え方になっている。
その花はもう幾つも咲き出している。
毎日、どれかの苗が花を付ける。
咲いてばかりで背が伸びないのではと心配するほどだ。
優雅な淑女とかいう品種名だが、種はアラビアジャスミン Jasminum sambac、和名は茉莉花(マツリカと呼ばれているが、もともとはサンスクリットでマリカ mallika であって、それに漢字を当てたものをマツリカと読みならわしたものらしい)。
マリカは確か仏教の伝説の中に名が出てくる王妃ではなかったかと思う。
これはその八重咲き品種だ。
言うまでもなくジャスミンティーの香りの素なので、近づけばやはりあの香りがする。
夏にもっと数多く咲いて香りが周囲に広がるのを楽しみにしているのだが。
ところで、このにわか作りの長い花壇、背後に水耕栽培やプランターが見えている。
つまりこの花壇も実はコンクリートの上にあるのだ。
つまり、根を深くは伸ばせないという限界がある。
その状況・悪条件でどれだけの樹高が出るものか知りたいと思っている。
さて、花の話ばかりで恐縮だが、コンクリートの上の花壇という奇妙なものと、鉢植えというものは実はどこか似ているのかもしれない。
鉢植えでも植物は育つ。
水耕栽培の樽においてもだ。
その地植えとの相違を確かめたいものだと常々思っている。
もう一つの鉢植えの花も咲き始めた。
クレマチス Clematis だが、この鉢には3品種のクレマチスを混植している。
今、1種類が先に咲き出したわけだが、残りの2種類はどうなるのだろうか。
クレマチスほど種類の多い花も珍しいと思う。
「へぇ、これもクレマチスの仲間なの?」と思う花も少なくないのだ。
長々と花のことばかり書いてしまったが、今回ばかりは、これは記録のつもりで書いているのだと思う。
生活と生活環境の変化がもたらす意識の変化が、庭というもの、その庭に咲かせようと思う花の種類や姿に影響を与えるものだという自分なりの覚書なのだ。
実際のところ、この変化の中で移植された植物は他にもある。
上にも書いた大きな椿、南側の庭端に伸びたハクモクレン、ブルーベリー、そして大きな柿の木だ。
いずれも移植せねばならなくなった時期が悪く、また、大きく根を張って育ったものでもあったので、移せば枯れると庭師の人や解体業者にも言われたものだった。
それを私は強行した。
彼らを切り倒すことは私には到底できないことだった。
花は美しい。
それはおそらく花は何も考えず咲くだけだからなのだと今また今更ながらに私は思う。
私は花にはなれないからだ。
(2018/07/03)