シラユキゲシ(白雪芥子)の花言葉は「清純な誘惑」なのだそうだが、「誘惑」だからと言って、アヘンになる芥子というわけではない。
緑に紛れながら、ふっと緑の中に浮かび上がる白と黄色のコントラスト。
名前のせいか植えた時には長持ちしないかもしれないと思っていたが、思いのほか強い花で寒さを感じるまで、二三、また二三というふうに咲いていた。
花が終わった後も大きな葉を広げていたので、これは来年も咲いてくれるかもしれないと。
今年は周囲にあまりに多くの植物があるから負けるのではないかと考えもしたが、負けてはいないようだ。
昨年よりも増えて広がっている。
清純な誘惑はしたたかなのだろうなと考えてほくそ笑んでいた。
どういうわけか私はグランドカバーになる植物ばかりを好きになるらしい。
それらが競い合って何処まで自らを主張して見せるのか、競い合いながら均衡状態に達するのか、誰かがひとり勝ち誇ってしまうのか、それを知りたいと思っている。
「咲きこぼれる」という言葉があるが、私は、草花が地面から溢れかえってくるような野原をいつも夢に見る。
オオアラセイトウの季節は過ぎ去ろうとしている。
オオアラセイトウは諸葛孔明が正常の食料として広めたという言い伝えがあるからなのか、花言葉は「知恵の泉」とか「聡明」なのだそうだが、アブラナ科であって油をとったり食用になるという有益さがそう呼ばせるのだろうか。
これも強い植物であるはず(ほっておいても育って増えるという点で)なのだが、その花は次第に紫を失ってやがて白くなり、白くなった頃には散り始める。
花は植物にとって「主張」のはずなのだが、その花が枯れる前、いまだみずみずしいうちに次第に色を失っていき、抗うこともなくはらりと散る。
その推移の仕方がもしかしたら何かの「知恵」を意味するのかとも感じないでもない。
それは、「清純な誘惑」のしたたかさとは対照的な何かであるように思えるのだが。
(2017/04/21)