鎌倉ヤマガラ日記

鳥の話はあれども野鳥観察日記ではない似て非なるもの

並ばずに駅に入れる社会実験?

こんなニュースを見て、「おや5月6日だけか」と思いつつ、今後拡大していくならいいがと思った。

http://news.mynavi.jp/news/2017/04/27/329/

 

住民を特別優遇しようというのではなく、観光客の驚くべき増加によって圧迫される住民を保護したいということなのだと思う。


鎌倉は観光地として如何に有名になろうとも狭い海辺の町であることに変わりはない。
観光客数の増加は例えば、鎌倉の名物でもあり集客力のあった花火大会の日曜実施を諦めて(駅や周辺道路、海岸における交通安全上の問題を考慮せざるを得ず)週日の夜にしたような例からも分かる。
今のところ「社会実験」なのだそうだから鎌倉駅に限定されてもしょうがないのだろうが、押し寄せる観光客によって元々鎌倉に住んでいる住民の生活が好ましくない影響を受けていることのほんの一例に過ぎない。

観光客が増えれば鎌倉も潤い、結果として市民もそのおかげをこうむるだろうと思う人も多いかもしれないが、これは全く違うのだ。
鎌倉市の財政は悪化する一方で、市内の生活の安全対策も十分に講じられないほどに貧乏なそうだ。

寺社を含む観光産業は確かに潤うかもしれないが、その中の大きな部分を占める寺社は宗教団体であって税を免れるので、寺社の観光収入から市民が恩恵を受けることはほとんどなく、逆に、駅の混雑は言うまでもなく、狭い鎌倉の町の交通も大きな影響を受けている。
市民は買い物に行くにも車ではなく自転車を使うか、あるいは徒歩で数十分も歩いたり(まあこれは高齢化してしまった鎌倉市民の健康にはいいことかもしれないが)、車の場合も従来使っていた道が観光車両規制で一方通行や進入禁止になって数倍も遠回りを余儀なくさせられている例も少なくない。


もともと、市は由比ヶ浜海岸近くに景観と市内の自然を損なわないようにと地下に大きな駐車場を作り、観光で鎌倉を訪れる車はそこに駐車して、市内観光は徒歩か市内バスのような公共交通機関を使ってもらうことを望んで、費用をかけて地下駐車場を作った。
この利用が進めば、住民だけでなく観光客も自動車公害に晒されずにすみ、自然も守られて良いところなのだが、これが一向に機能するようにならず、地下駐車場は行ってみるとガラガラで、税金無駄遣い(をしたし、今もしつつある)空間となっている感がある。
上の鎌倉大駐車場構想が機能しないのは、その構想が鎌倉市内への観光車両等の乗り入れ規制とセットで機能すべきものであったはずなのに、その規制が成されなかったことも大きな原因の一つだろう。

私は宗教というものについて特別アンチではないのだが、観光化した宗教というものは既に宗教本来の機能を大きく逸脱しており、「産業」の一部と化していると考える。
例えば、鎌倉は自然や歴史的景観を損なわないために随所に風致地区があり、家屋建築の階数制限など様々な固定的な規制があるだけでなく、店舗関係でも景観を損なう派手で大きな看板は抑制されたりしているのだが、こと宗教関係となると規制は有って無きが如しのように見える。
例えば、鎌倉は言うまでもなく鎌倉時代・戦いの時代という歴史を引きずっていて、敵方に処刑された武将を祀るような神社や施設もあるが、それがいつの間にか「縁結び」の神社に化け、畳二枚分もある派手な宣伝看板が風致地区内に堂々と掲げられていて、その神社の境内は品のない勧誘音声付きの賽銭箱に溢れていたりする。
それをもって宗教法人とみなして税制上の優遇措置をとり続けるべきなのだろうか。
むろん、真摯に宗教本来の活動に徹している寺社も少なくはないが、観光という時代背景の中でそういう「まっとうな」寺社は相対的に圧迫されている印象がある。

 

今の日本は海外からの観光客も相当に増え、観光立国という行き方も理由のあることではある。また、観光に訪れる人たちが鎌倉の「小さな」自然を愛し歴史を愛していくことは素晴らしいことなのだが、同時に、これは鎌倉に限ったことではないが、観光客の増加によって圧迫されつある地元住民の生活を考慮しないまま観光開発を続ければ、観光日本において観光に関係しない一般住民の生活は成り立たなくなるように思うものだ。
実際に鎌倉の物価は高く、若い世代の占める割合が低下し、それに連れて小児科や内科が減り、生活に困難を感じて旧鎌倉住民で市外に引っ越した例は多いのではないかと憶測する。

また、外国からの観光客の中には日本の文化や生活様式に馴染みがなく、「困ったことをする」観光客の話は増え続けているが、これは日本の文化や生活感を理解してもらうようにすれば、ある程度は解消できる問題であるだろう。
それどころか、そういう努力によって、日本を、そして、その文化や自然を日本人よりもより深く理解し守り育ててくれる国際人も増えるのではないだろうか。

そういう努力なしにただただ目先の商売や賽銭箱のためだけに観光客を招きこめば、「観光客の通った後は草も生えない」などということになりかねない。

特に遅れていると思われることの一つでもあり好例は交通規制だろう。

観光客の車を規制するという目的で作られた規制を守っているのは地元住民の方で、無視して走行する観光客の車もかなりあり、また、時間規制という中途半端な規制方式ゆえ規制時間の前に進入してしまえばいいと考える観光車両も後を立たないので、これでは規制の意味が全くないと言わざるを得ないのだが、市も市警察もそのことを知らないわけではないだろうに対策を講じられずにいるようだ。

 

いわば従来の観光産業は、既に存在している自然屋や歴史に「タダ乗りして」成り立っていたものだったかもしれないが、やがてそれは自然の保護や育成、文化の、文化財の保護を要するようになり、それによってまた「観光」というものも成長してきたし成熟していくはずのものだ。
町は生きたものであり、そこには住民の生活も存在するということをも、今後の観光は考えていくべき時代になっていると私は考えるし、観光に訪れる人たちも「どこにも売っているような物にあふれた土産物店」ばかりが栄枯盛衰を頻繁に繰り返しながら立ち並ぶ「生活する人のいないゴーストタウン」に来ることをよしとはせず、そこで生きている人たち、自然、文化と交流することをも楽しむような「新しい観光の時代」を欲していると思うのだが、どうだろうか。
これは観光客の方たちに文句を言って解決する問題ではなく、鎌倉市そのものが全市をあげて取り組む問題ではないかと思う。
そう、鎌倉駅周辺あるいは江ノ電だけに限らずもっと大掛かりな(小さな町にとってはという意味だが)社会実験が鎌倉には必要なのだと考える。

その意味で現在の鎌倉は、観光立国の在り方を考え、方向づけていく好例になり得る立場に立っていると思うのだが、悪例になりそうな事例も多いのは大変残念なことだ。
先の、フランス大統領選挙に完全に隠れてしまった(まあ当然だが)鎌倉市会議員選挙で「既得権者をいたずらに優遇しない」ことを掲げた無党派候補がトップ当選したのも、市住民の本音を汲むところがあったからなのかもしれない。


時代は新しくならずに前に進んでいくことはできないものなのだと思う。

 

これからの観光を考える この新しい本は「地域との連携」についても述べているようなので、それが住民生活というものを考慮した内容なのか読んでみなければと思っている。

 

(2017/04/28) 

f:id:daymonthtraveler:20170110005736p:plain