庭の南西側の一画にスイカズラが繁茂している。
もともとはツツジが生け垣のようにして植えられていたのだが、一時バラのアーケードにしていたのが途絶え、そこに今度はスイカズラが根を下ろし、やがて繁茂した。
ツツジも生きて花をつけるが、私はツツジが好みではない。
特に赤茶けた色の花を付けるツツジは。
だから、ツツジがスイカズラに絡みつかれ覆われていくのを止めようとは思わない。
それどころか、それを私は今、南側をずっと覆う竹垣に誘導して、南側をスイカズラの塀にしようと企んでいる。
スイカズラは強い植物だ。
漢方薬にもなるという黒い実が硬く冬を越えるので「忍冬」とも呼ばれるし、その蔓(つる)も強靭だ。
若いうち柔らかい茎は、やがて外側から硬化してマルバウツギの茎のように中空になる。
そうなると、手で引き切ることが難しい硬さになっている。
花は舌を出して大笑いしている狐のような不思議な形をしているが、実に甘い芳香を放ち、最初は白だがやがて黄変して、白い花と黄色い花が共存する時期があるため金銀花とも言う。
実は、私は中京圏に引っ越すときに、先日解体した古い家(がまだ健在だった頃)の竹垣に茂っていたスイカズラを持って行き、そこの庭の棚のところに移植した。
それから数年ほどで、もともとはキウイ棚だったらしい棚はスイカズラに覆い尽くされた。
夏場には、その日陰は日の当たるところに比べて気温が2度は低かった。
香り立つ自然のクーラーといったところだ。
こちらに戻るとき、私はその黒い実を集めて、こちらにまた移植しようと播いたのだが、残念なことにその実からは芽が出た形跡がない。
しかし、おそらくは、もともとあったスイカズラの種を鳥が食べて運んだのか、南西側にスイカズラの一画ができていることに戻ってきてから気づいたのだった。
先日、北の家を解体して、住居側からは北の家に隠れて見えなかった岩壁が見えるようになったということは前に書いた。
マルバウツギの白が好きだった私は白を探すように崖を見ていたのかもしれない。
マルバウツギの更に北側の高い位置に白い花があるのに気づいてマルバウツギだと思ったのだが、よく見ると、それはスイカズラだった。
花弁の根本部分がやや赤みを帯びているのがわかるだろうか。
南西の一画のスイカズラとは色合いが若干違うのは場所のせいなのだろう。
おそらくは、もともと北の家の竹垣に茂っていたスイカズラから周辺に広がっていったということなのだと思う。
どうやってもスイカズラの実が風に飛ばされて岩壁の上まで行くとは考えられないから、これもまた鳥の仕業なのだと理解する。
南西と北東のスイカズラに囲まれた家。
方角に意味があるのなら、この対角線上に育った二箇所のスイカズラは何をもたらす花だということになるのだろうか。
私は方位占いを信じる類の人間ではないが、方位は、陽光の強弱、高低、水脈の、水道の水の流れ、あるいは、それに関連した植物や鳥、小動物の生育や行動にも関係しているから、無意味であるとは思わない。
また、この地を出て行くことがあれば、私はまたスイカズラを連れて行きたいと思うに違いない。
実は、私には、スイカズラだけでなくノウゼンカズラについても、よく似た、しかし更に長い歴史がある。
それは記憶であり、しかも未来につながっている。
そうやって、私は植物を連れて移動する生き方がしたいのだと思う。
それが懐旧の念からくるものなのか、それとも私が花を好んでいるせいなのか、私にはわからない。
わかろうとも思っていない。
あるいは、そうやって、移り住む身にとってのアイデンティのようなものとして植物をとらえているのかもしれない。
(2018/06/19)