木造瓦屋根の家を壊すと後処理に困るのが瓦なのだそうだが、私は解体業者に瓦を持って行ってもらわないことにしていた。
和風建築にこだわりがあるというわけでもないのだが、愛着のある家であったし、最後はその瓦屋根の一部にノウゼンカズラが気根を食い込ませて花を咲かせていて、その瓦とノウゼンカズラの対象的な色が目に焼き付いていたせいもあって、瓦にも愛着があった。
それだけでなく、瓦を使った土塀の記憶もあったので、瓦の再利用を考えてもいた。
実際、この家の変動期、瓦は垣根の土台や花壇にも使うことになったのだ。
そのことはまたいずれ写真か何かを添えて書くだろう。
それでも余る瓦の使い途として頭の隅に有ったのが、北の家を解体してガランとなった空き地に緑を増やすだけではフラット過ぎるだろうから、のっぺらぼうの土地に小さな築山のようなものを作りたいということだった。
岩壁の崖側に一箇所、ハナミズキとバードフィーダーを設置していた雑木の手前にもそんな凹凸を作って見たかった。
それは空き地の使い途が決まるまでの一時的なものであってもいい。
当初の瓦の山「築山」は上の写真のようだった。
頂上には土偶を二つ並べて同じ方を向かせてあった。
手前の複数の鉢は大きな睡蓮を株分けしたものを築山を取り囲むように並べてある。
土偶の神を祀る祭式をやろうと思ったわけではないが、配置してみると何だか不思議な雰囲気になっていた。
瓦も土偶ももともとは土。
土から出たものはやがてまた土に帰る。
私を含めて土に帰る仲間だというわけだ。
私は瓦の色合いが好きだったので、そのまま瓦の山でも良かったのだが、自然と草が生えたりして土がかぶった状態になるのであれば、それも良いだろうか、と。
木々の新芽がふき、葉が茂る季節、雑木の葉叢がまたハナミズキへの日当たりを妨げそうだったので、それを剪定して、切り落とした枝葉を瓦の山の上にかぶせてみたら、それもまた何かしら面白い趣きになったので、そのままにしてある。
植物の「生きた跡」があれば、他の草たちも近づきやすいかもしれないし。
梅雨入りしてはいるのにざっと降って後は空梅雨の気配だが、それでも周辺の植物は葉を伸ばし花が咲き出した。
野のような庭、それが妥協の産物である間は本当の「庭」にはならないのかもしれないが、花がもう少し咲いたら、またクローバーを短く刈って、雑草を淘汰しよう。
今年の水耕栽培は、キュウリも中玉トマトも豊作で既に食卓を賑わせているし、トウモロコシも枝豆も随分と伸びた。
こうしたことどもは、小さな人間の営みの部分も含めて、時間の中で進んでいくしかないものなのだ。
(2018/06/27)