鎌倉ヤマガラ日記

鳥の話はあれども野鳥観察日記ではない似て非なるもの

雨のクレマチス

曇り空でまとまった雨も降らない天気だと書いていたら、夜中には結構な量の雨が降った。

でも、今は小降り。

強雨だと、トマトの実が落ちたかもしれないと思って朝方に見に行くと無事。

今朝は8個。毎日こうだと素晴らしいのだが。

 

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雨のせいかキュウリも急速に大きくなっている気がするが、一晩の雨でそうなるとも思えない。

それでも、雨は植物にとっては優しい恵みなのだろうと思う。

 

昨日のクレマチスのまだ開きかけだった花が幾つか開ききっていた。

 

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下の昨日の写真(再録)では、尖った花弁だったものが胸を張って広がっている。

 

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これもまた雨のおかげだろうか。

雨の中を写真を撮りに行くだけの価値があると感じる。

些細な喜びが結局は人生を彩るのだと。

 

クレマチスの一種である(日本では総称としても使われているのかもしれないが)鉄線(あるいは鉄仙)の花言葉に「甘い束縛」というのがあるそうだ。

あの蔓(つる)の美しいばかりの繊細さと、見かけに似合わない強靭さを表しているのだろうか。

もちろん花言葉なのだから、咲いた花を見て思いつかれた花言葉だとは思うのだが、それを承知で蔓を歌った言葉ではないかと言いたくなるものなのだ。

 

そう言えば、「束縛」だが、昨日だったか「変数束縛」「束縛変数」について考えることがあり、それはここでもちょっとだけ書いたりしているテーマに絡むことが少し発展したかと思われたことだった。

「甘い」というのは、無論文字通りの蜜の甘さ、誘惑の甘さであるのだろうが、他にも頑なでない、硬くない、柔らかなという意味合いも含む言葉だと思う。

だとすれば、「甘い束縛」はこのところ私の関心が向かっているテーマにピッタリの花言葉であるようにも思える。

庭をいじり、眺め、関わっていることで、私は別の考え事をしているようだ。

別のことではあるが、決して別次元ではない、とでも言うか。

そう、思考は決して外界とは無縁ではなく、むしろ、深く浸透しあう関係にあると私は確信している。

 

昨日に続いて日記ふうに書けば、 CPU(Intel Core i7−3930K)の温度はナノダイアモンドグリスのおかげで40度台。

幾つかの軽いソフトを動かしたままアイドリング状態にすると40度未満になり、なんだかとても穏やかな気分になった(笑)。

いや、実は50度台が普通だったのだが、温度をモニタするのに常駐させていたアプリケーション(psensor)が殊の外CPU負荷が有るものであることに気づいて、それをもっと簡単な、温度の数字表示だけのもの(xsensors)にしたら、40度になった。

モニタリングというか測定にもエネルギーが消費され、かつ、そのエネルギー消費に伴って、測定対象であるCPU温度が影響される。

なんだか、量子力学の入門書を呼んでいる気がする顛末だった。

しかし、この問題はなかなか馬鹿に出来ない、深刻に考えるべき問題だと思う。

でも、本当にこのアプリだけでそんなにエネルギーを消費していたのだろうか。

それに奇妙に連携していたプロセスがあったのかもしれない。

要因の多い現象を分析することは一筋縄では行かないものだ。

 

(2018/07/06) 明日は七夕か・・・ 宇宙の果てで誰かが笑い、地上では雨が降る?