鎌倉ヤマガラ日記

鳥の話はあれども野鳥観察日記ではない似て非なるもの

庭を見せなさい、そうすれば

 

庭とその主との関係について少し前に書いたのだが、

 

 

英国の作家・詩人の The Garden That I Love という本の中に、こんな名言があることを今日知った。

Show me your garden and I shall tell you what you are. -- Alfred Austin

(私訳)

あなたの庭を見せなさい
そうすれば、あなたが何であるかを教えよう

    shall であるから強い言い方なのだろうと考える。
    tell は「言い当てる」「わかる」でもいいのだが、敢えて「教える」にしたいと思った。
    what you are も、「人となり」、「性格」でもいいのだが、「何であるか」のほうが、ずばりそのものである気がする。

 

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(2017/08/12 北海道旅行からの写真 風の形を残したポプラ)


この名言を知って、思い出したのが、次の詩だ。
もともと編まれた本の一節、題名がない詩だが、あまりにも有名な最初の一行が題名のように扱われることがある。

      -- Christina Rossetti

   Who has seen the wind?
   Neither I nor you;
   But when the leaves hang trembling
   The wind is passing thro'.

   Who has seen the wind? 
   Neither you nor I;
   But when the trees bow down their heads
   The wind is passing by.

 

日本での有名な訳は、かの西條八十による次のようなものだ。

   (西條八十 訳)

   誰が風を見たでしょう
   僕もあなたも見やしない
   けれど木(こ)の葉をふるわせて
   風は通りぬけてゆく

   誰が風を見たでしょう
   あなたも僕も見やしない
   けれど樹立(こだち)が頭をさげて
   風は通りすぎてゆく


名訳を批判するつもりは毛頭ないのだが、私ならこう訳したいと思う。
言葉の生硬さは許してもらいたいが、明瞭にしたいことがあった。

   (私訳)

   誰が風を見ただろう
   私もあなたも見たことがない
   けれど木の葉が枝で揺れるとき
   風はそこを通りぬけている

   誰が風を見ただろう
   あなたも私も見たことがない
   けれど木立が頭(こうべ)を垂れるとき
   風はそこを通り過ぎている

 

見たことがない、But when 云々。
その「けれど」は、「見たことがない」に対して強く対置して何かを言いたい感じがする。
見たことがないが、実は、見えているのではないか。
風を見るということは木の葉が揺れるのを見ることだ、と。

 

そうとらえると、「木の葉をふるわせて」と「風は通りぬけていく」は、西條訳のように単純に and で連結してはいけない。

「木の葉をふるわせて 風は通りぬけてゆく」というふうに連続させると、風が木の葉を「ふるわせ」ることになってしまい、震わせるのも通り抜けるのも主語は風になってしまうが、原詩では二節とも when直後の主語は「木の葉ないし木」であり、その後の主語は「風」で別のものなのだ。

葉や頭も木に起きている現象であり、通り抜けたり通り過ぎたりするのは風。

 

まずは、それぞれが別の現象であると表現しておきながら、その後で、実は、それら二つは別のことではなく同じこと、因果関係にある同一の現象なのだというテーマを浮き彫りにしようと詩人は考えたに違いないのだが、西條訳では、そのテーマが少しだけ先取りされてしまった訳になっている。

訳者はそこまで考えなかったか、あるいは、日本的に情緒的な言葉の流れを大事にしたのか。Rossettiは感覚的・官能的な詩人ではあるが意外に理屈っぽいところ、論理性を大事にするところがあると私は思っているので、西條的な情緒流れ訳では物足りなさを感じてしまう。

 

それだけでなく、 when は But に伴われて強意になっているはずだと考える。

when A, B について、「Aであるとき、実はBが起きている」と理解すべきだと詩人は言っている気がしてならない。
だとしたら、 when は「〜して」と and 的にではなく、「〜するとき」と訳すべきだと私は感じるし、また、そう考える。

 

そうなると、進行形にした is passing も風が過ぎ去って「〜ゆく」ではなく、今そこに風が「存在」しているというニュアンスであってほしいのだ。

 

Austin の言葉を援用して言えば、「風が何であるかを教えましょう」と、この有名な詩は言っていると、ずっと以前から私は考えている。
そのことを今日は「庭」のことから再考することになった。

 

そう言えば、今日は七夕。
男女二人の詩人が私の中でこの日に出会ったということか。

 

  

The Garden I Love  -- Alfred Austin

 

The Complete Poems -- Christina Rosetti

 

(2018/07/07)

 

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