雲に乗りたい。
幼い時からずっと今に至るまで変わらない想い。
飛行機が雲の中を過ぎる時の周辺の水滴と白さ。
それから子どもがぐずるような、あの、くすぐったげで微細な振動。
乗れないのなら、せめて雲の写真を撮るためだけに旅をしようか。

その想いは空を見上げるたび、歳を重ねるたびに深まっていく。
過去にもたくさんお雲の写真を撮るともなく撮ってきた。
それらを掘り起こして今ここに載せようとは思わない。
その様々な形。
テクスチャ。
そして色彩。
それらが皆、時間とともに移ろっていくのを眺める。
「あの人は雲を眺めて一生を過ごしたのかもしれない」
そんなことを言われるような人生が送りたかったと、今の私は思っているのかもしれない。
雲のロールシャッハはどんな分析も許さない。
時時刻刻、その場所で、ただそうあるだけで、他に何ごとをも意味しない。
意味しないが、そうなるのには理由がある。
様々な理由、おびただしい数の要因が重なりあって、そして、過ぎ去りゆく、たった一つの今が在る。
これからも、いや、これまで以上に私は雲の写真を撮り続けるだろう。
少しでも雲に近づくために。
(2018/08/26) 写真は浅間展望地を求めて歩いた榛名富士山頂および高崎市内から。